日本大学藝術学部剛柔流空手道部OB会掲示板NUGK OPINIONS

NUGK OPINIONS

~ 空手という武道を通して何を最終目的とするか ~

田中 元和Genna Tanaka

≪ 組手に必要な要素 ≫

3.の段階


 3.の段階の具体的な練習方法

  突き蹴りで攻撃してみる。実際に相手を突けるものなのか、そして蹴れるものなのか。

  現役空手道部員や若いOBたちは、基本移動による正拳突きや、前蹴りなどが果たして型動作のように相手に当たるものかどうかは、実戦組手をしてみなければわからないという不安が常にあるのが本音だと思う。
  実際に組手を行うと基本移動に見られる空手らしい態勢や型に見られる華麗な攻撃やしっかりとした受けの態勢がほとんど実用されずに、ポンポンとつま先で床を蹴り上げて後屈に近い立ち方か前屈に近い立ち方か、その中間的な立ち方で攻められれば下がり、突けば相手が下がり、まさに一進一退して空手なのか拳法なのかテコンドーなのか、はたまた流派色としての剛柔流なのか松濤館なのか和道流なのかわからない、全く剛柔流空手動作の面影はないというのが現状である。

  近年においては、更にグローブと面を着用してキックボクシングなのかフェンシングなのかも判別できないような動作になっていて、怪我を恐れるあまりに空手の基本や型の効用は置き去りにされているというのも現状である。
  当ててはいけないということで蹴りを相手の前で止めるというより当てないようにして空を切って回し蹴ると、相手はダメージがないことからすぐ反撃をしてくるので互角のドタバタ劇のような、悪く言えばシャモ(軍鶏…小さめの鶏)の喧嘩のようで突っつき合っているだけで組手の終了時間が来てしまい、効果なく終りということになる。
  グローブと面の他に、更に胴体に防具をつけてのドタバタ組手では、組手をやっていて面白いとか痛快だとか打感の自信がつくと思えないことだろうから、防具をつけない場合の組手防御に対しては不安があることから積極的に普段から組手を行おうという機運が盛り上がらないというのも現状だと思う。

...したがって、安易な対応策として常に古典の基本移動的な動作の繰り返しの練習(稽古)になってしまい、本番組手のための練習(稽古)ではなくて、基本練習のための練習(稽古)、つまりは練習のための練習になっているのが現状のようである。
  実際に回し蹴りを当てたら相手の動きが瞬間的に止まり、すぐさま相手からの反撃はないはずだ。本来の組手とはこうあるべきだから、多少は当てるぐらいの組手をしないと打たれた痛みがわからないことと、これを防御しようと考える対策という発想が湧いてこないということだ。

  「転ばされて覚える相撲かな」ということわざがあるが、空手も「痛みを知って覚える空手かな」でなければいけないし、それによってなにくそという根性で「転んでもただでは起きぬ」「蹴られてもそのままではいない」の強い精神を養うことにもなるからだ。

  対策として、最初は普通のノーマル(剛法)な組手ではなくて、スロー(柔法)な組手で、多少は突き蹴りを相手に当て、自分も相手も打感というものを知るようになることだ。それによって、相手側はどのようにしたら防御できるかという自分の体格にあった防御方法を組手で習得して、自ら編み出さなければならないことを知るだろうし、突き蹴りを当てようとした方は、当たらなかった場合にはどのようにすれば相手に突き蹴りが当たるのかということを、これまた自分の体格にあった攻撃方法として組手によって習得して、自ら編み出すということを知ることになるということだ。

  稽古による基本や型が実戦による組手練習では、基本や型の稽古のようにピシッと攻防が出来ないということを納得して、実戦の難しさを体感し、空手本来の実戦組手に取り組まなければ、学生生活の4年間はほとんど空手の基本練習(稽古)で、実戦に対応するという進化が無いということになって仕舞いかねないからだ。

...そう考えると、学生生活の4年間は空手を習得するには短すぎると思うとしたら、フィギュアスケートの羽生やジャンプの高梨や卓球の14歳15歳ペアが世界や日本の頂点の大会で金メダルや優勝をしているという現実を見せつけられて、また彼らは4年前無名であったにも関わらずに急成長を遂げて世界や日本の檜舞台で活躍しているということを知らされて、4年間は考えようによっては「目的」意識と「目標」をしっかり設定できれば空手習得をするのに十分長い期間なのだということを思わなければならないということだ。

  彼らの4年間の活躍を考えると自分たちの今までの空手稽古と組手練習とはいったい何だったのかという、彼らとの大きなギャップがあることを感じずにはいられないはずで、それは何故なのかということを真剣に考えてみる必要があるということだ。

  今まで歴史的に我が部はこのようなことは考えていないし、その領域に到達して考える者もいなかったというのが現実で、前の項で述べた唐手(古典)から空手(現代)に代わってもほとんど技術的に進化していないという、『それは何故か』に相当する同等の回答になると思う。

...伝統的な稽古の伝承は、稽古以外に礼節においても行われてきたが、先輩から受け継ぐものとして発展的に積極的に改良改善することをややもすればタブーなものとしてきたことによるからだ。それ故に、現代の国際的な空手道の発展への立ち遅れにならないようにと思い、このたび私は多くの書き込みをしたが、これは将来の空手道部のためになるとの思いで記述してみた。
...これは、将来における新たな対策を講じる方法の一環として書いたということを、現役諸君や若いOBたちに理解してもらいたいというのが私の本音であり趣旨でもある。

  実戦の組手練習においての前蹴りなどは、確実に相手の腹部を捉えることができるのかという不安があると思う。前蹴りを使用としたときに相手が防御として基本技にある下段払いではなくて、足を上げて鷺足立ち状態で蹴りに合わせて防御をしてきたら蹴ることができるのかということや、無理に蹴ったならば相手の足の膝頭下に当たって突き指をしないのかと考えるはずだ。実際に強行して蹴ったならば自分の蹴りの強さで自分の足指に強い衝撃が走り突き指は免れない現実となることだろう。では、どのようにしたら蹴り込むことができるかを考えたときに、一つには右の蹴りに対して相手が左足を鷺足立ち状態で防御したら、とっさに左足蹴りに切り替えて蹴り込む態勢をすることを毎日の繰り返し練習によって出来るようになるか、又は、瞬時に左横にわずかにステップして防御する相手の足の内側からややひねるような態勢にして右足で蹴り込めるかなど、柔法的な組手で繰り返し練習することでもって、自分の技として確立させることができるようになるということだ。人によっては、それでも蹴り込むことができないとしてあきらめる者がいたとしても、蹴り込む方法を粘り強く練習して発見できたとしたら大きな収穫で、一つの技を自分なりに確立したことになる。これは一つの例に過ぎないが、こうして組手の実践によって突きや蹴りを相手に当てる方法を確立していくことで自分の空手が進化していくことを知るはずだ。現代の科学的な取り組みとしてはビデオに撮って、あとでプレビューしてみて反省し、また練習でトライしてみるというのが、羽生ほか彼らの練習方法であるということを実感してほしい。したがって、基本や型を稽古してみても、それが実際に使えるものかを先ず試して、その先は自分流に自分に合った研究で技として確立させるための活路を見出すという信念をもって練習することだ。

...こうしてみると、とにもかくにも実戦組手を最初のうちは柔法的にスローな状態で行い、お互いに想定外の突きや蹴りに対してどう防御するか、または、どう攻撃して突きや蹴りを当てられるかを実践することの積み重ねをして、学生生活の4年間にどれだけ出来て確立できたかに自分自身の「結果」があるということだ。

...それには、冒頭で述べたようにどのような「目標」を立て、何を「目的」とするか、そして4年間で自分なりの「結果」をどう出すかということで、現役各部員それぞれにビジョンが求められるということでもある。したがって、「稽古」は以前同様に合同で行ったとしても、「練習」は各自の方法で計画を立ててトライしなければならないという結論に至るということだ。とにかく、自分用の一つの技というか取り柄となるものを得るためには、それを完成させるまで繰り返し徹底的に「練習」するしかないということを知ることだ。



1)右利きは、右利き用に練習すること。

  右利きは、右利き用に練習すること。左右平等に得意になる必要はない。
  野球のスイッチヒッター以外に左右均等に練習するスポーツはあまりない。相撲なら右四つ得意なら右上手投げ、左四つ得意なら左上手投げ等で右差し用に稽古するか左差し用に稽古するかのいずれかだ。
ゴルフで左右打ちするプレイヤーがいないのと同じように、空手でも左右均等に得意になる必要はない。左右均等にうまくなるよりも利き手側をより進化させるほうが得策といえるからだ。

  空手においては、右利きは右突き右蹴りが主体で、右の矯正練習のために一時的に左突き左蹴りを行うことはあるが、あくまでも右利きなら右突き右蹴りを主体にして決め技として磨くことが重要で、右の矯正用や相手の攻撃を抑える意味で、左突き左蹴りが時には必要な要素になるということだけだ。左利きはこの逆であることは言うまでもない。

  右利きなら、左手は相手の左右の突きを受けることを防御の主体にして、攻撃ではジャブに相当する牽制突きやフェイント突きとして使用し、左足は相手の進攻を止めるための抑えの前蹴り止めや、フェイントの蹴り、あるいは相手の右蹴りを左足でブロックするなど、左手左足は主に守りと牽制攻撃を主体に使用するのがベターである。
要するに、古典伝承唐手にある受けから始まり攻撃する(上段受けから正拳突きなど)のではなくて、主に攻撃のための牽制から始まり(時に守りもあるが)、それにより活路を見出してから決め手の正拳突きや蹴りに至るというのが現代空手といえるからだ。

  右利きの右手は、右正面正拳突き(ストレート)による顔面打ち及びボデイ打ち、胸元打ちや、右エンピに代わる右肘による突っ込んでの打ち抜き、右突き上げや右アッパーカットなどを決め技として使用し、右足は、右足正面蹴りや右足回し蹴りによる上段(ハイキック)から下段(ローキック)までの使い分け、右足後ろ蹴り。右足膝蹴りなどを主体に使用するのがベターである。

これらを徹底的に繰り返し練習して自分の得意技にすることだ。左の蹴りは牽制と併せて金的蹴りをも主体的に護身術用を含めて練習することだ。その他に、突き(手)は、貫手による顔面や眼への攻撃、喉元攻撃などをも護身術用として練習することだ。実際の使用は危険であるが必殺技として、また護身用としてマスターすることも唐手への原点回帰として現代空手にとって大事な要素である。

  空手には演武として、また古典の「型」として投げ技はあるが、実戦的に使用する投げ技にはなっていない。つまりは、約束組手で約束通りに動く相手には通用したとしても想定外の相手の真剣勝負動作には対応できる投げ技になっていないということだ。したがって、今日における自由組手や試合組手では投げ技の使用は皆無といっていいほどで、演武による鮮やかな投げや分解組手による投げは試合などでは見られることはない。

  自由組手や試合組手の決め技は鮮やかというよりも大抵は地味な決まり技が多く、演武や型分析に見られるような派手で鮮やかな決まり技はほとんど見られないのが普通だ。
  相手と駆け引きのある真剣勝負では、見た目は地味な攻撃が多く、その攻撃は演武のように一気に必殺の決まり技に持っていくというものではなくて、決め技に持っていくための過程として牽制やフェイントがあり、ダメージを与えるジャブのような小攻撃ありで、徐々に相手を痛めつけてフィニッシュ(決まり技)するのが普通で、何事も空手の「型」にあるように一発で仕留めるような状況にはないということだ。

  古典芸術としての「型」の応用は、空手らしい流派色のある動作攻撃や防御姿勢としてマスターすることにある。それ以外には、「組手」とは切り離して「型」競技として華麗に空手らしくマスターするべきものであるといえる。


2)右利きを対象に説明する。
(左利きは、この逆で練習すること)

①『突き技』でマスターするのは、左で牽制して、更に左手で防御しながら右の上段正拳突きや中段突きの練習。左突き(牽制含めた、ジャブ)によるとび込むタイミングの取り方を研究し、右突きでフィニッシュへとつなぐ練習。左肘打ちによる前進しての打ち抜きからの右正拳での中段や上段への突きなど。
  左牽制打の後に、相手の懐に前進しての右肘打ち抜きなど。
  顔面への手刀と背刀による眼つぶし、目裂きや貫手による喉攻撃の練習。更に左突きでの心臓打ちなど護身用としても練習することだ。型セイサンで喉元を右手で攻撃する場面があるが、今の組手で現実に使用されてはいないが、実際にこのようにやってみる価値はある。

➁『蹴り技』でマスターするのは、上段・中段・下段を足の甲を利用しての回し蹴ることや、右の正面蹴り、左で牽制しての左前足押さえ蹴り(相手の進攻を止める)、左足で相手の蹴り攻撃に足を立てて防御するなど。更に、左足甲による下蹴りでの金的蹴り攻撃などを練習すること。
  左右での膝関節側刀(踵底)蹴りや、左右の下段回し蹴り(ローキック)による相手の膝関節打ち(砕き)、倒れた相手を上から打ち抜く側刀(踵底)蹴り落としも練習すること。
  相手の首後ろを掴んで前に引き落としながらの顔面や腹部への膝蹴りの連打(現在の空手にはキックボクシングにあるような膝蹴りは特にない)。
  横蹴りなどは、体重が載らないのであまり効果がないと考えた方がいい。一方で、回転しての後ろ踵ストレート蹴りは体重が載るので、これをマスターすることで強烈な武器になることは実戦経験から間違いがない。

  3)『投げ技』でマスターするのは、相手の腕を取ってクルルンファ型に似た手首や腕絡みをして、自分の腰を沈めて相手を背後から前にひき出し空中投げをするか、相手の首に自分の足をシザーズして絡め、相手の体重を利用して自ら下向きに反回転して相手を倒し、即、腕十字固めに持っていくことなどを練習したほうがいい。

...これだけ3点の『突き技』『蹴り技』『投げ技』をマスター出来れば、自由組手としてはほぼ合格だ。この中から突き、蹴り、投げを最低一つでも得意技としてマスターすることだ。
  大相撲の決まり手は、「技」82 + 「非技」5 の計87ある中で、実際に使用する技は寄り切りや上手投げやはたき込みや寄り倒しなど使用しているのは10手以下であること、柔道は「形(技)」は、「投技」67 + 「固技」29 で計96ある中で内またや大外刈りや背負い投げや抑え込みなど、こちらも使用しているのは10手以下であることから、空手の型にある多くの技や基本にある多くの技を全部マスターする必要はなく、いくつかの得意技を使用して完全にマスターすることでもって空手に自信を持つことができるはずである。


...例えて、医者を目指す医学生を考えてみればいい。学校での勉学の前半では基本となる医学全般を習ったとしても、後半は外科や内科やそれぞれ専門学科を選択し、卒業後の医者としての職業では更に細分化されて、外科でも消化器外科や胸を中心とした外科や心臓外科など、内科も然りで細かく専門科している。
頭でっかちに外科理論のみ先行していても外科手術の実施例が少なければ患者としては依頼するのが不安になってしまうことになるはずだ。外科実施した実績がものを言う社会であって、間違って他の内臓を傷つけてしまったという後の祭りは絶対に許されない世界でもある。
こうしてみると、医者でも社会に出れば細分化された専門分野に携わることから、その分野以外のことは他分野の専門家に任せることとなり、医学全体に対してオールマイティとは言えなくなるはずだ。細分化された専門分野になったとしても、それでも医者に変わりはなく、医学分野のスペシャリストということになる。

...同じように、空手全般の基本的なもの、主に唐手発祥からの基本を身につけたとしても、その先をいつまでも古典の基本をつづけるのではなくて、自分の体格にあった、柔軟性のある自分の得意とする分野を開発して、空手の中での細分化された得意分野のスペシャリストになることであっても医者同様に空手家には変わりがない。
柔道ならば一本背負いのみ得意で、これで金メダルを取れる実力があれば柔道全体の知識が浅くても柔道家に変わりはない。


...ゴルフのレッスンプロや野球のコーチなどならば、浅く広くゴルフや野球の知識に精通していなければその職業は成り立たないが、しかし、彼らは選手になれるほどのスペシャリストにはなれない。要は、レッスンプロやコーチになって飯を食うか、選手になって激しい競争社会に出て勝ち抜いて飯を食うか、それぞれの目的意識にあるということだ。

...したがって、しっかりとした「目的」とそれを実行し実現するためへの「目標」を設定して「結果」を出すことが最も大事なことであるということを冒頭で申し上げた。
社会に出れば、学校で習った通りにいくとは限らない世界に入っていくことになり、自分流に相手と対応して、自分の思った通りの世界ではない、難癖のある相手の世界であっても生き抜いていくためには対応して行かなければならないことになる。要は、社会は練習ではなくてすべて本番なのだということを空手の世界でも自覚してやっていくことが、これからの空手界の発展にもつながることだと私は確信している。

...空手においてはいつまでも団体行動による一律の基本練習(稽古)の連続ではなくて、本番のための練習(稽古)を目指さなければ進化しないということになるからだ。本番(組手)をやることで、反省が生まれて再び基本の大事さをわかるというプロセスを踏むことだ。本番(組手)抜きで練習(稽古)をしても、それは「練習のための練習」であり、「稽古のための稽古」であるということを自覚してほしい。
結論は、『練習のための練習になってはいけないこと。稽古のための稽古になってはいけないこと。』常に、本番を意識した練習や稽古になるように日頃から工夫して考え抜いて単純な動作とも思える繰り返しの練習(稽古)で得意技を身につけることだ。それが、空手を学んだこと、その練習(稽古)したことで本番での実績も伴うようになることでもって、将来のあらゆる面への自信につながるものだと私はここでも確信する。
指導者は、このことを常に意識して教えるだけではなくて見守ってやる必要がある。


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