日本大学藝術学部剛柔流空手道部OB会掲示板NUGK OPINIONS

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~ 空手という武道を通して何を最終目的とするか ~

田中 元和Genna Tanaka

≪ 6.三戦(サンチン)の起源と呼吸法 ≫


 6.三戦(サンチン)の起源と呼吸法

  剛柔流の特徴である三戦(サンチン)による、呼吸法の習得
  「三戦」の息吹は、呼吸を「表に現わす」呼吸鍛錬として活用する「陽息吹」とされる。
  「転掌」の息吹は、呼吸を内面に秘めて「表に現さず」、相手に測られない様に行う実戦法による呼吸鍛錬として活用する「半陰陽息吹」とされる。

  最古の文献は、本部朝基の『沖縄拳法唐手術、組手編』にある。
  『剛柔流』の三戦(サンチン)は、「握拳(にぎりけん)」で行われているが、当初における東恩納寛量の三戦は「開掌(貫手)」による「開手型」であったことから、現在の『剛柔流三戦』を正確に言えば唐発祥の貫手による「開手型三戦」に対して、握拳による「閉手型三戦」ということになる。

  東恩納寛量の三戦は、「呼吸音があまり聞こえず、非常に早いスピードで貫手を繰り出し、引き手の時にスッとするどく息を吸うことで短い呼吸音を発していた」とされる。
この名残りは、「型」セイサンの最初の部分の速い三戦移動に表れている。そして、セイサンの中盤に見られる早い貫手移動にも表れている。

  三戦が「開掌(貫手)開手型」から「握拳閉手型」へと変化した主な理由は、唐手が沖縄県の学校体育に採用される際に、貫手は危険で野蛮なイメージがあって教育上好くないとして、東恩納寛量の手(ティー)が不採用になったのが遠因であるとされ、その後おいては採用されるために「握拳閉手型」にしたという説が有力である。
この説からは、唐手が唐(中国)の手(ティー)から生まれたとする所以であることと、三戦が「開掌(貫手)開手型」から現代の「握拳閉手型」になったとされる根源があったことを伺い知ることができる。

...なお、三戦は、『攻めの型』で、本来は突いて次に相手の突きを中段受けするというのではなくて、突いて即受け態勢をとることであり、現在の分解型にあるところの相手の突きを必ず中段受けするというものではなかった。なお、三戦の出だしのもろ手(両手、双手)受けは防御の受け態勢から入ることを意味している。
このことは、セイサンの出だしの三戦態勢による速い突き即受け防御態勢によって立証されている。当時、東恩納寛量の三戦は、貫手による開手で短く鋭い呼吸音でもって非常に速いスピードで突きを繰り出していた。サンセールもシソーチンもスーパーリンペイも当時の出だしは速い突きで行われていた。他流派ではスーパーリンペイの出だしは速い突きと受け防御態勢で現在も行っている。

...これに対して、転掌は『受けの型』で、呼吸音は静かで沖縄当時と変わらずに開手で行われている。



  実戦組手を研究する開始の前に、この歴史的な「開掌(貫手)開手型」を理解して、実際に相手と相対して柔法(スロー)をもって組手で実践してみることから始め、以下の段階を踏んで現代における組手の研究をすることを期待する。
※柔法(スロー)に対して、実際のスピードで行うことを剛法(ノーマル)とする。
この柔法で実戦組手の練習を積めば、グローブなどを着用せずに空手本来の素手による実戦形式での体験が可能となるからだ。


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